3 息を吹き返した上川倉庫のいま
壊すか、残すか── 悩んだ末の結論は「再生」。 旭川の文化を 育み・発信する拠点として 倉庫郡はその役割を変えました。
駅舎周辺の倉庫群をどうするか試行錯誤していた昭和57(1982)年のこと。6代目社長・井内治弥のもとに社団法人日本建築学会の清家清会長から文書が届きました。明治から昭和の貴重な歴史的建造物の保存のために、倉庫と事務所棟の保存を考えてほしいという旨でした。 この倉庫郡が「建物が持つ美しさや技術、地域の歴史を形として表す建造物である」ことを再認識しましたが、明治時代建造の古い建物だけに現在の建築基準法や消防法など多くの問題が立ちはだかっていました。
「壊すのは簡単だ。しかし、本当に壊して良いのだろうか──」 当時この問題に対応した、井内正樹(現、代表取締役)及び井内敏樹(現、取締役)は検討を重ねました。悩んだ末に保存と再生の道へ背中を押したのは、保存の重要性と再利用の価値に賛同した、多くの協力者の存在です。たくさんの助言、市民を巻き込んだ議論が大きな力となり、新たな倉庫の姿が形作られていきました。 倉庫群が並ぶ、この一街区は「蔵囲夢(くらいむ)」と名付けられ、次世代に繋ぐ使命感と精神がこの時から世代を超えても引き継がれています。
「蔵囲夢」は、旭川の新しい地域文化を育み、発信する拠点として再活用するために、旭川市と協力して平成7〜9(1995〜1997)年にかけて整備されました。 平成8(1996)年からの大規模なリニューアルによって、順次レストランやギャラリー、インテリアショップ、多目的ホールなど、地域に根ざした空間へと生まれ変わっていきました。
5・6・7号倉庫は老朽化のためにやむを得ず平成12(2000)年に解体されましたが、翌年平成13(2001)年には現存する倉庫6棟と事務所の計7棟が国の「有形文化財」に登録※され、当時大きな話題となりました。
役割を変えた倉庫は、街と市民の財産として、新たな文化の発信と旭川の街づくりに貢献しています。
※平成13年12月4日 文部科学省告知第172号により「文化財登録」登録番号第(01)0038-0044
世の中は、古くなる前に壊し・新しく作る「スクラップ・アンド・ビルド」の時代から、時代を超えて愛され、活用されるスタイルに変わってきています。
建造物には、生まれる瞬間から今日まで関わってきた人たちの息遣いすら感じる“物語”が刻まれています。上川倉庫群も例外ではなく、建物としての歴史的価値とともに、移り行く歴史の“物語”があります。 旭川の街と市民の財産として、可能な限り永く後世に伝え遺していくことは、上川倉庫株式会社を含めてこの地域で暮らす者の大きな務めではないでしょうか。
旭川を愛し・愛され、市民に貢献できる空間であり続けることを願って、 上川倉庫群は今もこれからも、少しずつ生まれ変わりながら“物語”を継承していきます。
第7代 代表取締役社長 井内正樹
[上川倉庫の歴史 Part 2]道北の物流拠点となった赤煉瓦倉庫
[上川倉庫の歴史 Part 4]保存の状況